日语阅读:黄山紀行,第1张

日语阅读:黄山紀行,第2张

窓から見える対岸の山に,絶えず白雲が去来(きょらい)する。渓流(けいりゅう)の響き(ひびき),匂う(におう)若葉(わかば)。ここは安徽省南部にある黄山の麓(ふもと)である。珍しく温泉が涌いていて、黄山探勝の根拠地になっている。

  黄山は年来の憧れ(あこがれ)の山であった。私にとって、唐招提寺御影堂障壁画の第二期制作の主題である中国風景の中に、どうしても欠くことの出来ないものだからである。昭和53年5月、宿願(しゅくがん)が叶い黄山への旅となった。南京を車で発って、途中、蕪湖に一泊し、この地へ辿り着いたわけである。

  黄山は,独立した山の名称ではなく,七十二峰の総称である。古生代の片岩、砂岩、粘板岩などから成り,広大なこの山嶽群の中には,玉屏楼、北海賓館、雲谷寺というふうに,昔の寺の址が宿舎になっている以外に,村落は無い。文字通り人外の仙境である。

  古く秦代には 黒多 山と呼ばれ,唐朝になって黄山と名づけられた。黄山の四絶として奇松、怪岩、雲海、温泉が挙げられたり,黄山に三奇在り,一松、二石、三雲海とも言われる。また,「五嶽より帰り来たりて山を見ることなし。黄山より帰り来たりて嶽(注:五嶽のこと)を見ることなし」と,明代の旅行家の徐霞客が称賛している。

  朝早く渓流沿いに歩く。切り立った岩、迸る(ほとばしる)滝(たき)、霧に煙る山。

  朝食を済ますと雨になっていたが,観瀑(ばく)楼に登る。近くの樹林のみが緑の色も鮮やかに浮かび,その他はすべて灰色の虚空に没し去っている。しかし,それは充実した無の世界である。一瞬,霧が僅かに動いて,滝と,その周囲の山の斜面が現れた。それは巨石を挟んで二筋に落ちる滝の全貌でなく,右方の一筋が見えたたげであるが、かえって余白が生きていて,絵になる構図となった。

  昼食を早目に済ませて,賓館を出た。慈光閣という仏寺の裏から,山道は石段となる。雨はかなり強く降ってくる。濡れた石段を登るのは容易ではない。あたりは茫漠(ぼうばく)と霞んで巨大な岩壁が聳(そび)え立ち,薄墨で描いたような輪郭が,思いがけない空の高みに現れる。橋を渡って見上げると,石段の急な道が,何処まで続いているのか解らないほど,遠く霞んでいる。一歩踏み外(はず)せば,たちまち奈落の底である。足許を見つめ,喘(あえ)ぎながら登る。

  衣服はもうずぶ濡れである。私は荷物一つ持つのでもなく,右手は杖,左手は案内の人がしっかりと支えて導いてくれるのだが,それでも少し登るとすぐ立ち止まって一息入れないではいられない。半山寺へ着き熱い茶を飲み,麓から持ってきた菓子を食べて,やや,元気を取り戻す。ここは海抜1340メートルとのこと,相変わらず石段の連続の道を登り進む。

  天都峰の麓に到達する。さらに一線天という難路にさしかかる。急峻(きゅうしゅん)な長い石段の道で,道幅も狭い。今まで何千段登って来たのだろう。まだ,この先何千段あるのだろうと心細くなる。足はすっかり疲れて重く,心臓は荒荒しく鼓動している。私は黄山を見たい一心であるが,一緒に登ってくれている人々の苦労に対して,全く済まない気持ちと感謝の念で胸は一杯である。

  幸いにいつの間にか雨が上がった。蓬莱(ほうらい)三島と呼ぶ奇岩と松樹の造り出す幻想的な景観に胸を躍らせると,間もなく有名な迎客松が枝を差し伸べて私達を迎えてくれる。今日の目的地である玉屏楼に漸く辿り着いた時は,すでに暮色(ぼしょく)が峰峰を包んでいた。この建物は昔の文殊院の跡で,海抜1680メートル,麓から約五時間の行程であった。ランプの光の下で,水も食べ物も下から担ぎ上げてくる人の労を謝しつつ夕食を摂る。

  朝五時起床。眼下に広がる白雲の漂いの中に,遠く近く,峻嶺が頭をもたげ,まるで島々のように浮び出る。奇岩、奇松、雲海の,いわゆる黄山の三奇が揃って,夢幻の美の天地をここに現出している。

  北方に蓮花峰,南方には天都峰が谷間から立ち昇る雲煙を纏いつつ,峨峨(がが)とした山容(さんよう)を高く聳え立たせる。黄山の三大主峰のうちの二峰であるこの両者が,その雄偉を競い合う姿は壮絶(そうぜつ)である。

  朝食後,玉屏楼を出発.こんどは送客松を後にして,また石段の道を辿る。相変わらず急な,そして高く長い石段の連続.蒲団松を過ぎ,百歩雲梯の難路を下ると,老僧入定と呼ばれる奇岩を眺める。黄山の奇岩は,それぞれ相応しい名を与えられていて,非凡な想像力から生まれたものが多い。

  珍しく石段の道から暫く解放されて,山の背に出る。ここからしばらくは高原性の土地になり,松林の中を下る。更に苦しい登り道を辿り漸く北海賓館に着く。

  昼食後,スケッチの道具を抱えて始信峰へ向う。賓館を出て間もなく岩山の配置の美しい眺めに出会う。細かく孤立した筆の形の石峰があり,その頂上に松が生えている。夢筆生花,即ち夢の中の筆に花が生じたという意味であり,全くその通りの感じの景観である。その近くには筆架峰と言って筆架に数本が並ぶ形の岩山もある。始信峰頂上から群れ立つ岩峰の素晴らしい眺望(ちょうぼう)に感嘆し,上昇峰、石筍峰などをスケッチする。

  宿舎の部屋に帰ると,急に疲労を感じる。しかし,窓際のコップに挿した白い優しい花が,私の心身を慰めてくれる。これは天女花と呼ぶ黄山の名花で,途中に咲いていたのを一行の誰かが手折って,此処まで運んで来てくれたのである。萎れもしないで美しく匂っている。清楚な花の姿はその名に相応しい。   朝,四時半に起床。賓館のすぐ前方に見る小高い山に登る。あたりはまだ暗い。空は天頂に向かって澄んだ浅黄色に晴れているが,地平の近くは紫グレー色に淀(よど)んでいて,そこにオレンジ色の光の帯が細く一線を引いて,滲むように浮び出ている。山々は濃淡の重なりを示して,重々しく並び立ち,私達の視野の三方を屏風(びょうぶ)のように取り囲んでいる。ただ,東北だけは低山が重畳し,雲海の中に島のように峰峰の頂きが浮んでいる。

  オレンジ色の光の帯はますます輝きを加え,今にも旭日(あさひ)が,その中から生まれ出るかと,私達は息をおんで見守っていた。その瞬間,思いがけないことに,旭日はもっと低く,紫グレーの淀みの底から,ぽっかりと赤く浮かび上がった。それは実に静粛な眺めであった。山々は敬虔(けいけん)なたたずまいの中に,暁(ぎょう)の讃歌を低く奏でている。

  旭日は静かに昇り,空のオレンジ色の輝きに達した時,急に天地が明るくなった。太陽は眩(まぶ)しい光輝を発散し,直視することはもう出来ない。金色の朝光を受け,山々は活力に溢れる岩肌を示して聳え立つ。

  しばらく眺めたのち,清涼台へ向かった。ここから見る峰峰の連なりは形容の言葉を絶する雄偉な景観である。朝食後に訪れた排雲亭からの眺望も,それに勝るとも劣らないものであった。ここは深い谷底から直立した高い岩壁上に在る,ほんの僅かな平らな場所で,スケッチに夢中になっていると転落する危険がある。同行の人々が心配して私の様子を見守っている。

  黄山の岩峰を視察し,写生(しゃせい)していると,ここには古来の中国の岩石を描く場合の皺法(しゅんぽう)の全てが見られるように感じる。披麻皺(しわ)、荷葉皺、大小の斧劈皺というふうに多くの皺法の名称があるが,岩山を写生していると,それは中国の山嶽の景観から,自然に生まれ出たものであることがわかる。しかし,私は無論それらの技法に拘束(こうそく)されることはない。眼前に聳える岩山を,私なりの表現法に従って描くまでである。

  黄山山中での最後の朝が明ける。五時,再び日の出を見たいと思い山へ登ったが,雲に蔽われていて見ることが出来なかった。朝食後,賓館を発(た)ち下山の途に就(つ)く。黒虎松の傍を過ぎ,白 我鳥 (鹅)峰を望む。道すがら,岩につけられた奇抜な名称を教わる。五人の老人が船を動かす,二匹の猫が鼠を捕える,仙人が路を指す、薬草を採る農夫というふうに,これら岩の峰峰は空想を湧き立たせる千変万化の姿を空に描いている。時々,特色のある諧調を持つ美しい鳥の声がさかんに聞こえる。八音鳥というのだそうだ。

  登る時とは違った道を通って下山しているのだが,長途の石段を下るのは,膝に力を掛って,決して楽ではなかった。しかし,雨の中を登った最初の日,更に北海賓館へと辿った二日目の難路に比べれば,帰りの路はよほど楽である。入勝亭で一休みして名の通りの佛掌峰を仰ぐ。このあたりから,石段はなくなり普通の山路になる。谷川を渡る時,橋から覗くと清冽(せいれつ)な流れの中に,山椒(さんしょう)魚が幾匹も泳いでいるのが見える。ここまで下って来ても,やはり人外境である。

  正午に雲谷寺に着く。山ふところの松林に囲まれた美しい環境である。食後,少し休んでから出発.麓が近くなるにつれて一行は気持ちも楽になり,冗談を言ったり歌も出る有様である。百丈泉を過ぎると,もう,すぐ眼下に黄山賓館が見えてきた。

  黄山は天下の霊山であり,その霊気に触れ得たこの登山行を,私は忘れることは出来ないであろう。

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