「……したいと思います」(中日对照)

「……したいと思います」(中日对照),第1张

「……したいと思います」(中日对照),第2张

「……したいと思います」という表現が、前々からどうも気になっている。たとえば「お祝いの会をはじめたいと思います」、「乾杯のご発声をお願いしたいと思います」。テレビの司会者なども多用する。

  「始めます」では響きが冷たい、と感じるのかしら。「お願いします」だと押しつけがましい、と言う発想か。つまり、丁寧、謙譲の気持ちを込めているつもりなのだろう。しかし「始めます」は、それできちんと礼儀にかなった言い方だし、ご発声も「お願いします」で十分に丁寧さを表している。「お願い致します」とすれば十二分だ。

  では「お詫びしたいと思います」はどうだろう。「お詫びします」なら、この人は詫びているのだとわかる。「お詫びしたいと思います」と言われると、「そうですか、それでは詫びて下さい」と返事をしたくなる。ところが本人は「……したいと思います」で、詫びは済んだと思っている。始末が悪い。

  実はこの言い方には、逃げとかごまかしが含まれている。できれば頭を下げたくないのだ。そんな気分がにじんでいて、結局は相手にもわかってしまう。詫びるなら率直に「お詫びします」と言うべきだ。単刀直入な表現ばかりでは、とかく世の中がギスギスする。ふんわりした物言いがあってこそ、人間関係の柔らかさが保たれる。そうした主張は理解できるが、あいまいなのはよろしくない。

  いま、比較的あいまいでないのは各政党の公約だ。?銀行やゼネコンを救済するために税金は使いません?、「年金、医療制度の抜本改革で将来への不安をなくします」、「腐敗をなくし国民の声を反映する政治へ」。……。

  「……したいと思います」などと断定を避けた表現はほとんど見当たらない。自信たっぷりすぎて、やや不安だけれど。

朝日新聞·天声人語

  译文

  “我想要……”

  很早以来,我就很注意“……したいと思います”这种表达方式。例如:“お祝いの会をはじめたいと思います”、“乾杯のご発声をお願いしたいと思います”。在电视节目中,主持人也经常这样说。

  也许觉得“始めます”给人的感觉太冷莫了的原因吧。“お願いします”又有强加于人的感觉。也就是说,“……したいと思います”是想要表现一下恭敬、谦让的心情吧。然而,“始めます”本身就完全是一种非常有礼貌的说法,如果只说“お願い致します”就足以充分地表达了。

  那么,“お詫びしたいと思います”这句话又会给人带来什么感觉呢?说“お詫びします”的话,人们会知道这个人是在道歉,但是,如果说“お詫びしたいと思います”的话,人们马上就会想说“是吗?那么就道歉吧。”但是,本人却认为说一句“……したいと思います”就算道歉完了。这真是表达不当。

  其实,这种说法有逃避和蒙骗的含义。可能的话,不想认错。由于这种心情的流露,结果对方也明白了。如果是道歉的话,就应该直率的说“お詫びします”。也许有人说,直截了当的表达方式很容易产生矛盾,委婉的措辞才能保证人际关系的融洽。这种主张是可以理解的,但是,暧昧的措辞并不是好办法。

  现在,各政党纷纷许下诺言采取比较直率的方式。例如:“税金不使用于救济银灰和大型建筑公司” 、“彻底改革退休金和医疗制度,消除对未来生活的担心” 、“扫除腐败,建立反映国民呼声的政治体制”。……。

  在以上的几句话中几乎没有出现“……したいと思います”(我想要之类的话),虽然没有委婉的表达方式,但过于自信,略感不安。

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