日语阅读:自然への回帰の旅

日语阅读:自然への回帰の旅,第1张

日语阅读:自然への回帰の旅,第2张

わたしが大海原を初めて見たには,今から十六年前,船でフランスへ出掛けたときであった。わたしは子供のころから物語を書く人になりたいと考えていたが,同時に,船乗りにもなってみたいと思っていた。

  大学は文学部に籍を置いたものの,物語を書くという夢は,種種の事情から,なかなか実現しなかった。わたしは大学を終わったとき,本気で,ある船会社の入社試験を受けようと考えていた。しかし文学部出身は応募資格さえないのを知って,わたしは,船乗りの夢もついについえたか,と大いに悲観したものであった。

  しかし海の上で生活したいという欲求はその後も続き,フランスへ行くことが決まったとき,わたしは,ためらうことなく,四等船客になる道を選んだ。わたしは,むき出しに波や風にさらされたいと思ったからであった。

  一等船客,二等船客は食事も豪華だし,快適な部屋で旅を楽しむことができるが,その代わり,二重にも三重にも大自然から遠ざけられている。それは大都会のホテルを,そのまま海の上に持っていったのと同じである。しかし,それではわたしの目的には適さない。私はじかに荒々しい自然に触れたかった。なんの遮蔽もなく,飾りもなく,生命を守るだけの堅固(けんご)なものに囲まれて,自然と戦いながら生きる生命の根源の形に触れてみたかったのである。

  四等船客は,その点かなり私の希望に近かった。生活は半ば水夫並みであり,集まる船客も大半は植民地から失敗して引き揚げる男か,季節労働者かであった。レコード室もなければ,バーもなかった。だいいち,女性の客は禁止されていて,どこを見ても,粗暴な男たちだけであった。週に一度の映画は,風と波しぶきの中で行なわれる。時々,波が荒くて,それも取りやめになることがあるのだった。

  わたしは南洋の太陽に焼かれながら,甲板に立って,青い海を何時間も眺め続けた。水平線がぐるりと船を囲み,陸地の影のようなものさえ見えなかった。雲が白く輝いていた。風はマストにうなり,波は甲板へしぶきとなって散っていた。

  いるかの群れを見たり,飛び魚が波の峰を越えてゆくのを目で追ったりしていると,わたしは不意に歓喜の思いに胸が膨らむのを感じた。子供のころから抱いていた船乗りの夢が,今,ようやく実現したと思えたからであった。わたしは帆網を巻くこともせず,舵をとることもなかったが,海風に打たれ,自由な空間の中に投げ出されているだけで既に夢のような感じがしたのである。

  わたしはこの船旅を「海そして変容」(「パリの手記」)の中に詳細に書き留めたが,それは,日々が過ぎ去るのが惜しく,その一日一日の感じを箱に閉じ込めるように,文章の綱目の中に封じ込めたいと思ったからである。

  ボードレールは「自由なびとよ,なんじは海を愛す。」と歌ったが,確かにわたしが長い船旅の間に感じ続けていたのは,日常生活から解き放たれた広大な自由感であった。わたしは通勤電車やオフィスや電話などではなく,じかに,風の中に立ち,青空を仰ぎながら,汗(あせ)を流して労働したいと思った。わたしは,その後もしばしば人工的な仲介のない,素朴なたくましい生活にあこがれたが,この船旅の間も,人間が直接この自然の豊かさに触れることのすばらしさを,全身をもって味わっていたように思う。わたしは,体が太陽の光を吸い込み,海の風をしみじみと甘美に感じていたのではないか,という気がする。

  南シナ海の明るい波も,印度洋の華麗な落日も,地中海の黒ずんだ風浪も,わたしの魂(たましい)を深くとらえて放さなかった。わたしは一日中ただ生みを見つめて暮らした。気晴らし(きばらし)など何一つ必要としなかった。魂と肉体が,あのときほど高揚し,自然の恵み(めぐみ)に酔いしれていたことは,その後もめったに訪れなかった。

  パリの生活が始まってからも,自然の豊かさを知った全身の感覚は,たえず公園の花や,並木や,枯れ葉(かれは)を吹く風や,パリの屋根の上を流れる雲に向かって開いていた。当時書いていた日記(「パリの手記」)を,校正しながら読み返してみて,わたしは,自然や季節や天候の美しさに自分がのめり込んでいるのを発見し,意外な思いさえ感じた。わたし自身はひたすらパリ生活や,フランス文化そのものに集中的に関心を向けていたと思っていたが,実際は,それと同時に,そうした文明を取り込む自然に,より多くの愛着を感じていたのだった。

  しかしそれはわたし個人の好み(このみ)ではなく,わたしの中に流れている日本人の感性のなせる業でなかったか,と思うことがある。最近,ずっと学生と一緒に日本古典を読みながら,日本人の自然観照の深さにしばしば驚かされる。終戦後,日本人のそうした能力が,倫理性や社会性を弱める要素であると見なされて,努めて排除される傾向にあった。そんなことより,人間と人間の間の事柄に思考と観察を集中すべきであるという気風が強かった。

  そしてそれが物質偏重(ぶっしつへんちょう)と,工業化による繁栄の中で,本来の意図と反して,奇妙な具合に成長した。もともと「人間らしさ」を救い上げるために「自然」も「季節」も振り捨てたはずであったのに,「自然」や「季節」を捨てると同時に「人間らしさ」も捨てる結果となったのであった。

  自然破壊への反省と石油危機は様々なことを教えた。「人間らしさ」の回復が,自然を捨て人間のみに集中して実現されるのではなく,実は「自然」と「季節」と「天候」とを一つに包んだ全体の中で,初めて行なわれるのだということが,多くの人々に理解されてきたのも,その貴重な教訓の結果であった。

  かつてわたしたちは秋になると,京都からまつたけが送られてくるのを待ちわびた。正月には北国から鮭が届けられた。生活は季節の中で楽しく調和的に保たれていた。冬のりんご、春の花々、夏のまぶしい雲、秋の紅葉と,わたしたちの周りには,神々(かみがみ)の恵みとしか言いようのないもので満ちされていた。

  確かに,自然の厳しい条件は人間の生存を危(あや)うくすることがある。人間は長いことそれと戦って「人間らしい生活」を築き上げてきた。しかし自然との闘争の結果,自然を殺し自然を無視したとすれば幸その復讐(ふくしゅう)を受けるのは当然である。いかに自然を克服しようと,その根底において人間自体が自然に所属しているからだ。わたしたちは常に自然と調和し,自然の中に生きるときにのみ,真の幸福を味わうことができる。それは,人間が人間の本性に静かに安らぐことでもあるからだ。

  わたしが二重三重の障壁を取り払って四等船客となったときの幸福感は,単に海外へ行く喜びから生まれていたのではなく,それが,長らく見失っていた自然への回帰のためだったことを,今なお,痛切に思う日がある。

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