读新闻学日语(中日对照)(七)

读新闻学日语(中日对照)(七),第1张

读新闻学日语(中日对照)(七),第2张

車名

  100年前、オーストリアに車道楽の富豪がいた。「愛される車には女性の名がふさわしい」という信念の持ち主で、まとめて36台注文する見返りに、今後すべての車に愛娘(まなむすめ)の名をつけるよう製造元に迫った。メルセデスという11歳の少女である。そのまま商標登録された。

  道楽:

  1.本業以外のことに熱中して楽しむこと。趣味として楽しむこと。また、その楽しみ。「食い―」「着―」(业余爱好、嗜好。癖好)

  2.酒色?ばくちなどにふけること。また、その人。(吃喝嫖赌、不务正业、堕落)

  見返り:

  相手のしてくれたことにこたえて何かをすること。特に、保証?担保?代償として差し出すこと。また、そのもの。「―を期待する」(回顾、回头看、抵压)

  愛娘:かわいがっている娘。

  100年前,奥地利有一名爱好汽车的富翁。他是一个认为“女性的名字才适合自己爱车”的物主。他总共订购了36辆汽车,作为条件,他要求制造商起一个可爱女孩的名字为以后所有的车子所用。厂商便采用了11岁的少女默西迪思的名字,并以此为商标进行登记。

  日本の先駆者は車名に頓着しなかった。国産ガソリン車の第1号は明治末、東京の自転車商吉田真太郎氏が作った。車名は特につけなかったが、ガタクリ、ガタクリ騒音を立てて走ることから「タクリー」と呼ばれた。

  とん‐じゃく「頓着」:「とんちゃく」とも》深く気にかけてこだわること。執着すること。「相手の気持ちに―しない」(放在心上、介意、在意、讲究)

  日本汽车界的先驱者并没有特别在意车名。国产汽车的第一辆是于明治末年,由东京自行车商的吉田真太郎先生所制造的。当时也并没有特意为此车命名,由于它在行驶时总是发出嘎嗒嘎嗒的噪音,所以便被称之为“塔酷力”。

  戦前の自動車界に詳しい佐々木烈氏(76)は「タクリーというあだ名には当時の国産車へのさげすみが感じられる」と話す。舶来信仰の時代でフォードなど輸入車に太刀打ちできない。10台ほど製造されただけで、タクリーは自動車史から消えた。

  たちうち:まともに張り合って競争すること。多く、あとに打消しの語を伴 う。「若さには―できない」「まともに―してはかなわない」(竞争、较量)

  对战前汽车业十分了解的佐々木烈先生(76)说到“塔酷力这个别称在当时可以明显地感觉到人们对国产车的蔑视。”在那崇尚洋货的时代,国产车是无法与福特等进口车竞争的。大概只生产了10台左右,塔酷力便从汽车消失了。

  戦後、大衆車の時代が到来すると、メーカーは車名を競い始める。当初、トヨタではカローラ(花冠)など冠にちなむ名が多かった。ホンダ車では音楽に由来する名が特徴で、日産は小説「小公子」の主人公セドリックなど名作路線を歩む。

  战后,才刚刚步入大众汽车的时代,制造商们便开始着手于车名进行竞争。当时,丰田车用的多是“花冠”之类、与“冠”有关的名称。而本田车车名的特征则多来源于音乐,日产车走的是名著路线,它采用了小说《小公子》中的主人公“公爵”等作为车名。

  最近の車名選びはかなりの難事だ。語感がよく、商標登録されておらず、輸出先の国々の言語でも不快感を与えない。すべての条件を満たす言葉を探して、何カ月も費やす。

  最近给车子命名是件相当困难的事情。必须做到读起来顺耳、商标没有被他人抢注、并且还不能让出口国在语言上感觉不良。为了寻找适合所有条件的名称,常常需要花费好几个月。

  東京モーターショーの会場を歩いた。エッセ、ピボなど耳新しい名もあれば、1世紀前と同じ少女メルセデスの名もある。この中に100年先まで永らえる車名があるのか。きらびやかな会場の隅で、車社会の先行きに思いをめぐらせた。

  信步于东京的车展上,既有诸如esse、pibo等初次听到的新车名,也能接触到与1世纪前同样的少女默西迪思的名称。这些车名中、还会有能够延续使用百多年的车名么?在这辉煌车展的一角,不由得让我想到汽车社会未来的走向。

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